新町古町について

新町

古町


新町

 加藤清正が入国時に、地元熊本だけではなく、大阪や名古屋からも商人や職人を定住させたといわれる新町。町家とともに侍屋敷も存在していました。町割りは短冊の画地でクランクが多いのが特徴です。

新町

 明治時代には、電信局(郵便役所)が置かれ、写真館や活版印刷所などの新しい商売も新町から始まっています。また、料亭が多いのも 新町の特徴で、明治時代の政治の裏舞台を支えてきました。昭和の大空襲による被害が少なかったことから、今でも昔ながらの町並みを残しています。

せんば狸像

 新町のシンボルである狸は、肥後手まり唄「あんたがたどこさ」から。この唄の中にある「せんば山」は熊本城から船場橋、明十橋あたりの川沿いにあった土手のこと。この地域には、昔から「狸がいた!」という話が数え切れないほどあるとか。

古町

 加藤清正は入国時に、現在の熊本城を築くとともに、それを中心にした城下町建設を積極的に行ないました。沼沢の多かった古町は、蛇行する白川、坪井川の改修が行なわれ、一辺約120mの碁盤の目状の一町一寺の画地割りに整備されました。

古町

 廃寺になったものもありますが、現在でも25の寺が住居に囲まれるようにあります。熊本の城下町の中でも、侍屋敷のない町人町はここ古町だけです。

おてもやん像

 肥後の民謡で、全国的に知られている「おてもやん」の作者である永田いねさんは、古町の米屋町の味噌醤油製造業を営む家の一人娘として生まれました。琴、三味線、太鼓、小唄など邦楽全般と、舞踊、歌舞伎をならい、多芸な人であったと伝えられ、殿様の所望で舞いや唄を披露したり、芝居一座を組んで全国で巡業したこともあるとか。